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健康なお年寄りの病気
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米国では癌罹患率第1位
第二十二章 「風邪を引くと、何故よく眠るのか?」について 第5章 前立腺炎―ご存知ですか?
若い人の「前立腺の病気」
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第二十二章 「風邪を引くと、何故よく眠るのか?」について 第7章 性感染症対策
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何故よく眠るのか?」について

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第19章 「道下俊一先生」の話し

先日、NHKのプロジェクトXの番組で、北海道の霧達布(キリタップ)の辺地医療を実践された道下俊一先生が取り上げられました。

昭和27年3月8日の十勝沖地震津波、 昭和35年5月24日のチリ沖地震津波で、 町はほとんど壊滅的な打撃を受けたところであります。 そういう地域で道下俊一先生は46年間、 8千人にたった一人の医者として仕事をしてきたのです。
釧路日赤病院浜中診療所に赴任した時は、2月という季節でもあり、根室本線の浜中という駅に降り立ったのは猛吹雪の中でした。霧達布までのバスもなく13kmの道程を歩いて行きました。北大の大学病院に勤めておりました道下先生は、教授から一年間霧達布まで行って来いと言われて赴任されたそうです。十勝沖地震津波の復興もままならぬ霧達布の地での生活が始まったのです。
最初の仕事は、明治初期に建てられたペンキも剥げ落ちた診療所の「目張り」でした。そして、診療所の仕事が軌道に乗ってきますと近隣の集落への往診があります。現在のように車があるわけではありませんから、何kmも歩いて行く事が多かったそうです。
冬は、湯たんぽを抱いて毛布を被って馬ゾリに乗って往診をしたり、時化た時でも「焼玉エンジン」の船で行くこともあったようです。海上でエンジンが止まったり、岸辺のかがり火を頼りに暴風雨の中を往診したこともあったようです。その時、診察が終わり、濡れた服を乾かしていますと往診先の婆ちゃんが、「俺が作ったうどん食べてくんねか」と言って出してくれたのを「うめな、お替り」と言って道下先生はうどんを美味しく食べたそうです。翌日、「今度来た先生は、俺んちのうどん美味いって言って食べてくれたぞ」と集落中に噂が広がっていきました。
死に目に会いながら往診を続けていた中で、内科の医者として赴任した道下先生の心配していました手術を必要とする患者さんが、現実となって、診療所へお腹を押さえ父親の肩につかまりやって来ました。盲腸炎でした。釧路の本院に連絡をして紹介しましたが、当時、国民保険が町にはなく、その患者さんは社会保険にも入いていませんでした。当時、道下先生の給料は1万5千円位だったそうです。盲腸一つで釧路まで行って手術をすると5・6万円掛かってしまうとのことで、十勝沖地震津波のために家計もままならぬ家の事を思い娘さんは、釧路へは行かず翌日また診療所へ来たんです。病状は悪化して、とても釧路へは転送出来そうも無いということで、盲腸の手術は助手しかしたことのない道下先生がメスを持たなくてはならなくなったのです。現在では、大変なことになったかもしれません。無事手術を終えられました。翌日、「今度来た先生は、盲腸まで出来る。釧路まで行かなくて済むぞ。」と話題になってしまうんですね。盲腸が出来るんだからお産も出来るだろうと町の人は勝手に思い込んで診療所に駆け込んでくるようになり、道下先生は、産婦人科の先生から手術を習うようになったそうです。
そんな内に約束の一年が経ち、大学から交代の先生が来ると連絡が入りました。待ちに待った日が来たということで、いそいそと荷作りを始めました。田舎というのは、そんなこともニュースになるんです。それから毎日毎日町の人が「先生、もっと居てくれ。」と診療所に来るんです。「もう少し役立つ医者になって帰ってくるから、札幌に帰してくれよ。」という日が続いたそうです。しかし、ある晩玄関がガタッと音がしたので行ってみると、胆石の発作で時々往診に行かなくてはならない婆さんが蹲っていました。「先生、ここに居てけれ!」哀願というよりは、絶叫でした。道下先生は、土間に降りて婆さんの手を握って「婆さん、俺居るぞ。居るからな。」というと、婆さんが「本当に居てくれるか、そうか、そうか。」と言って涙を流して道下先生の手を握り返しました。何事かと思って奥さんが玄関に出てきて、道下先生と目が合いました。その状況を見て、奥さんは道下先生にうなずいてくれたそうです。それから毎年春になると荷造りをする、町の人が来る、荷物を解く、そんなことが年中行事となって8年が経ちました。
そして昭和35年5月24日朝、玄関をドンドンと叩く音で目を覚ましました。「先生、津波が来るぞ。俺が船を出そうとしたら、海が無くなっている。津波が来るんだ!」と道下先生の家族は、山に逃げ始めた時、7・8mの津波が霧達布の街を飲み込んできました。
ある日道下先生は、湿原に沈む夕日を見ていた時、ふと一つのことに気付いたのです。「8年間で二度も家・船・財産を失った人たちが一人として霧達布を引き上げていない。」そのことに気付いた時、道下先生は寒気を感じました。診療所に戻った時、高校生の患者さんが待っていたそうです。「お前んとこ、またやられたな。こんな怖いとこ居ない方がいいんじゃないか。」と言ったところ、その高校生は、道下先生を睨み付けるように「先生、ここは俺の故郷だ。故郷を簡単に投げられるか。」
その時、道下先生は「故郷」について考えたそうです。確かに生まれたところが「故郷」かもしれないが、「心に留めたところ」も故郷であり「自分の生き様を知ってくれる人が居るとこも」故郷だと気が付いたのです。この時、この青年達と「霧達布の復興」に賭けていこうと決心したそうです。
道下先生の霧達布生活の第二弾がここから始まったのでしょう。
最後に「カルテの裏には人生がある。」と言っておりました。腹が痛い・熱があるなどの言葉の下にある、その人の心・環境を診ながら毎日忘れずに診療をしていきたいと感銘しました。

人それぞれ、人生の生き方の「物差し」があります。 道下俊一先生は、下記の「物差し」を使われていたとのことです。

「The Four - Way Test」
of the things we think, say or do
1. Is it the TRUTH?
2. Is it FAIR to all concerned?
3. Will it build GOODWILL and BETTER FRIENDSHIP?
4. Will it be BENEFICIAL to all concerned?

鈴木皮フ泌尿科クリニック診療科目 泌尿器科・内科・小児科・皮膚科・性病科宇都宮市柳田町1284-1TEL028-660-2022